旅のお宿

翠の大地 第12話

 なんだか複雑な気分だ。

 2月。春季キャンプが始まると共に、それまで思いも寄らなかったものを見た。

 後輩。

 いや、今までだって、1年経てば新人が入ってくるというのは当たり前のことだった。
 ただ、プロになってからは、周囲が皆自分より遥かに凄い選手に見えていて、今の今まで、上を見上げることしかしていなかった。
 しかし、入団した年が後だから、自分より格下の存在であるという話にはならない。
 私より年長の新人もいるし、鳴り物入りで入団してきたゴールデンルーキーもいる。
 1、2年の内には、私より早く1軍レギュラーの座を掴んでしまう後輩もいるかもしれない。

「千堂、ちょっとちょっと。」
 新人との対面式が終わると、畑コーチに手招きされた。
「何でしょうか?」
「あの子の面倒を見てやってくれるかな?」

 畑コーチの指の先には、さっそく練習に散っていく新人達の中、のろのろとやる気無げに後を追う小柄な姿がある。
「面倒、と言いますと・・・」
「そのままの意味だ。何くれとなく気にかけてやってくれ。任せたぞ。」

 任されましても。
 自分のことだけで手一杯なのに、後輩の世話までとなると、首が回らない。
 そもそも、いまだ2年目の自分はまだまだ学ぶことだらけで、指導する側に回るには早すぎる。
 そう抗議しようと思ったが、畑コーチはと言えば、さっさとベンチの方に行ってしまって、監督と何やら話し込んでいる。
 憂鬱だが仕方が無い。とりあえず善処してみて、無理そうならその旨を報告するしかなかろう。
 ショートのサブポジと言い、この球団は私に何を期待しているんだ。
 しかもあの子は・・・

 午前の練習が終わり、昼食となった。
 話すチャンスとばかりにあの子の姿を探すと、意外にもすぐ見つかった。
 一番奥のテーブルの、一番端。
 ひとり黙々と食事している。
 ますます気が重い。

「やあ」
 個人的にはでき得る限りの明るさを込めたつもりだったが、向けられた視線に少々たじろぐ。
 どんよりとしていて、無気力と言うより疲れたような目。
 パッと見は若すぎるくらい若い。顔立ちに幼さが残る上に、プロ野球選手としては珍しいほど小柄なせいで、中学生だと言われても頷けるほど。
 それだけに、今にもどうにかなってしまいそうな暗さが、余計に目立つ。

 しばし、話題に迷った。
 後輩の面倒ならこれまでも散々見て来たが、6歳下というのはあまり経験が無い。
 しかも、この子には厄介な事情がある。
 何の話題なら乗ってくれるのか。

「新しい環境には慣れた?」
 考えた末が、これだ。我ながら芸が無い。
 相手は無言。もうこちらを見ようともせずに箸を動かしている。
 その動きも、どこか億劫そうだ。
 それでも、じっと答えを待つ私の雰囲気に根負けしたか、ぼそっと返事をくれた。
「まだ初日です。」
 ん?
 新人の入寮日は1月だったはずだが?
「寮には・・・」
 今度は逆に、最後まで言わせてもらえなかった。
「今日、合流したんです。」
 相変わらず、こちらを見ようとしない。
 
 高校生ドラフト1位とはいえ、そこまで特別扱いするものか。
 入団の経緯はTV報道や噂話で聞いているが、扱いを他と変えてしまうと、球団自ら非があったと認めるようなものだし、本人のためにもならないだろうに。

 ここで少し、私が把握していることを整理しておく。


 この子の名前は城阪 準(きさか じゅん)。出身は北海道旭川市。
 甲子園出場経験もある地元北海道の名門校に入り、2年生の時には母校を甲子園優勝に導いている。
 体格差を感じさせない優れたバットコントロールでチームの先陣を切って出塁し、盗塁も非常に得意という先頭打者タイプ。
 県大会レベルなら打率が軽く5割を超え、全打席安打も珍しくなかったというほどであり、盗塁に至っては甲子園で1大会12盗塁という記録を残している。
 これは金村情報だが、可愛らしい容姿も相まって、普段野球を見ない人からも大人気だったらしい。

 野球の資質はもとより、その人気に各球団が目をつけないはずはない。
 複数の球団が獲得に乗り出し、去就が注目されていたが、最終的には地元北海道を本拠とするウルブスへの入団で決まりかけていたそうだ。
 ウルブスは監督自ら複数回城阪家まで訪ねていくなどしており、城阪もウルブス入団を強く希望していたという。
 その頃の城阪をテレビで見た事がある。
 嬉しさとはにかみと緊張を等分に混ぜたような笑顔で、ウルブスの職員と握手していた。
 騒がれるのも分かる可愛さだったのを覚えている。

 ドラフトの日程が近づいた頃には、他の球団は、仮に交渉権を得ても拒否されそうだと見て、それぞれ別の目玉選手にシフトしていったようだ。
 城阪は単独1位指名ですんなりとウルブスへ入団する。
 誰もが、そう見ていた。

「別に、ルール上は何も問題ないンだけどな。」
 城阪のことは寮でも話題になっていて、この手の話に詳しい金村が、得意げに解説していた。
 まぁ、指名は球団の権利であって、逆指名制度のない今の高校生ドラフトでは、資格があって登録も済ませている選手なら、誰を指名しようと問題は無い。
 それにしても、とは私も思うが。
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翠の大地 第11話

 一年目のシーズンが終わった。
 契約更改では年俸が微増。特にこだわりも無かったのでそのまま応諾した。

 以前に同期4人+先輩1人と賭けた1軍在籍期間勝負は、山井さんが先輩の貫禄を見せて1位。
 私は2位に着けていた。後の3人がほとんど2軍だったためだが。
 久しぶりに、5人で食事に行く。
 シーズン自体はあっという間に終わってしまったように感じたが、入団後、最初に親しくなった仲間と顔を合わせていると、去年の今頃、硬い笑顔を貼り付けて入団記者会見をしていたのが遠い昔のことのように思えてくる。
 本当に、私の周囲は目まぐるしく変化した。

「そういや、千堂さんは年末どこで過ごすんさ?」
 当然のように、みんな実家に帰るものだと思っていたが、天田は残るつもりなのだとか。
 お気楽なように見えて、在籍期間勝負にはほとんど参加もできていなかったことが悔しかったようだ。
 年末年始といえど練習に励むつもりらしい。去年まで高校球児だった天田にとっては、例年通りの過ごし方なのかもしれないが。
 
 私はと言えば、一度、実家に戻ることにしている。
 上京して神奈川に住んでいた友人に教わり、何とかパソコンを使って文章を打てるようになったが、応援してくれている人たちには、ファンサイトに顔を出すだけではなく、やはりちゃんと会ってお礼を言いたい。


「いよぅ!お疲れ!」
 駅のホームで、実家が近い川尻と合流した。
 川尻は、いつの間にか私のファンクラブ会長に祭り上げられたらしい。
 そう暇ではないはずだが、観戦ツアーを企画したりしてくれている。
「今年は特に世話になったな。」
「よしてくれ。俺は・・・」

 何か言いかけて口ごもり、続けるように目で促すと、ごまかすようにあらぬ方を向いた。
 なんだ?
 結局、地元の駅に着くまで、川尻は旧友の近況をしゃべるなどするばかりで、その話題に触れようとはしなかった。

 帰郷のことは川尻と母にしか伝えていなかったのだが、どちら経由で広まったのやら。
 わざわざ友人や、ぱっと見で記憶の無い人まで、「おかえりなさい!」の横断幕付きで出迎えてくれたのには辟易した。
 愛知と言っても、私の実家があるのは内地の方で、典型的な田舎町である。
 「テレビに映るモンがこっから出るたぁ驚いた!」とは、友人の父親の言。
 我が事のように喜んでくれる人が多いことに、私の方が驚いている。

 その後、役場に連れて行かれてスーツを着たお偉いさんに挨拶したり、公民館に案内されて地元ファンクラブ代表だという商店街の店主達にお礼を言って回ったりしているうちに、すっかり日が暮れてしまった。


「お帰り」
 家に帰ると、母の何事もなかったかのような出迎え。
 昔から妙に落ち着いた人だったが、今はそれがありがたかった。
 夕飯を待たせてしまったようで、呼ばれた兄がぶつくさ文句を言いながら部屋を出てくる。
 3つ歳の離れた兄は、私と違って一切スポーツはやらず、東京の大学に入った後、在学中に司法試験を通って、今は名古屋で弁護士をしている。
 こちらも落ち着いている・・というより少々変物で、常に我が道を突き進んでいる。

「仕事、大変?」
「どこだって大変だろ。」
 相変わらず、兄の返事は取り付く島も無い。
 もともと、私もあまり機転の効く方ではないので、それで話題が止まってしまう。
「青島さん、結婚したって。」
 そして、母はいつも、それまでの流れと全然関係ない話題をポンと出してくる。
「今度会う時にお祝い言っておく。」
「・・・」
 母は無言で、私と、兄とを見比べた後、そのまま黙々とから揚げに箸を伸ばした。
 何となく兄を見る。仏頂面でもぐもぐ口を動かしている。

 母には申し訳ないが、初孫を見せられる日が来るのは、まだ当分先になりそうだ。
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翠の大地 第10話

 その日、ペナント最終戦を終え、ホエールズナインは淡々と帰路に着いた。
 今年は5位でシーズンを終えた。
 試合数が多いというのも良し悪しだなと、改めて感じる。
 これがアマチュアの大会であれば、一度でも負ければ後が無いということがほとんど。
 プロはじっくり戦える・・かと思ったが、蓋を開けてみれば、じりじりと差が開いていくのを抑えきれず、一喜一憂している内に、いつの間にか優勝を逃し、Aクラスからも滑り落ちてしまっている。

 日本シリーズもアジアンカップも関係のなくなった球団は、10月半ばから秋季キャンプに入った。
 依然、課題として遊撃の守備が命じられている。
 あまり意味を感じられずにいるのも相変わらずだが、一年生の身で異論を唱える勇気も無い。

「オフはどうするつもりだ?」
 ランニング中、不意に背後から声を掛けられ、思わずギョッとして振り向く。
 そこには、苦笑を浮かべた錫原さんがいた。
「いえ、特に・・・」
「自主練も良いが、余裕は持てよ。」
 言って、先ほどとは違った苦笑いを広げる。

 錫原さんとは、シーズン中ずっと外野のポジション争いをしてきた。
 遊撃の練習もさせられたが、こちらには確固たるレギュラーがいるし、にわか仕込みの技術では控えの選手と争うことも憚られる。
 私はあくまで外野手としてスタメンを目指すつもりだし、それは錫原さんも、日野さんも同じだろう。

 もちろん、起用を決めるのは監督であるし、試合での成果を競うのであって、反目するのは間違っている。
 ・・・とはいえ、やはり複雑な気持ちにはなる。目に見えるところに存在するライバルなのだから。
 向こうにとっては一層複雑な話だろう。私から見れば大先輩と肩を並べようとするなど挑戦に過ぎないが、向こうから見れば、新人と比較されるのは気持ちの良いものではあるまい。
 そう思って、錫原さんとも、もう一人の一軍外野手である日野さんとも、あまり話したりはしてこなかった。

「俺の若い頃は、良かったな。」
 錫原さんのルーキー時代と言えば、ちょうどチームが上り調子になっていた頃だ。
「やればやっただけ、手ごたえがあった。チームと共に自分も成長していく感じだった。」
 10年ほど前のホエールズは、本当に強いチームだった。
 今だって、それほど弱いわけではない。
 弱いわけではないが、勝てなくなった。
 いつしか、チームはひとつの全盛期を過ぎていた。
 当時あれほど持て囃されていた錫原直毅の名も、ここ数年はめっきり聞かなくなった。
 不甲斐ない味方を目にして、気力が萎えてしまったのだろうか。
 それとも、若くして天才打者の名を欲しいままにして、それ以上の目標を見つけられなくなってしまったのだろうか。

「あの頃は、野球しか頭に無かった。寝る間も惜しんで打ち込んでいた、という気がする。」
 その成果が、首位打者の栄誉なのではないのか。
 なぜ、錫原さんは、それがさも誤りであったかのように語るのだろう。
「説教臭くてすまんが、つまらん人間にはなるなよ・・お前、趣味は?」
「は・・はぁ・・・」

 答えかけて目を伏せた私を見て、錫原さんは低く笑い声を立てた。
「野球か」
「会社勤めをしていた時は、仕事も良いものだと思いましたが。」
 一瞬、目を丸くしたところを見ると、錫原さんは私が社会人ドラフトで入ってきたというのを忘れていたのか。
 2位とはいえ世間で騒がれるようなことは全く無かったし、まぁ覚えていなくても仕方ないが。

「何をやっていたんだ?」
 錫原さんは会社員生活に興味を持ったようだ。
「研修でいろいろやった後、営業に。」
「何の会社だ?」
「スポーツ用品のメーカーです。業界じゃ中堅というところで。」
 ちなみに、今でも道具類はその勤め先のを使っている。
 決して大きな会社ではなかったが、常に新しい事をやろうという熱意のようなものがあって、商品の説明をするのも楽しかった。
 野球部にもかなりの時間を割けたし、もう1、2年もプロ入りの声がかからなかったら、あのまま永久就職していたかもしれない。
「社会経験じゃ俺より上か。釈迦に説法だったかな。」
「そんな。1年しかいなかったんですから。」

 他愛も無い会話を続けている内に、すらすらと言葉が出てくるようになった。
 思っていたより、ずっと話しやすい。
 話しかけにくい、と思っていたのは、私が勝手に構えていただけなのかもしれない。

 それぞれの練習に移る際、錫原さんは一言残していった。
「もう少し、周囲にも目を向けるといいと思うぞ。」

 言われて、言葉の意味を考える。
 そんなに頑なになっていたのだろうか。
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翠の大地 第9話

 8月が終わり、9月。
 そろそろ秋模様を見せても良い頃合いだが、あいにくと、残暑日和が続いている。
 私はと言えば、いまだにレギュラーに定着できていない。

 それでも、数試合置きにスタメン出場させてもらえるようになった。
 完全に優勝の目も消えたことだし、監督は来季に向けて、若手に出場経験を積ませてやろうと考え始めたようだ。
 現在の1軍外野手は、私を含めて5人いる。
 この内、龍崎さんと大山さんはそれぞれレフトとライトで不動なので、残るセンターが焦点だ。

 乾いた音を立てて、鋭い打球が飛んできた。
 先ほどから黙々とノックを続ける網代(あじろ)コーチの球を、ひたすら捕り続けている。
 網代コーチは、守備コーチ。
 ただし、内野の、だ。

 外野のスタメン固定が難しいと見ているのは、監督以下首脳陣も同じらしい。
 そこで、打開策として、定位置を持てない選手は、こうしてサブポジの練習もさせられている。
 日野さんはサード、錫原さんはファースト、私はショートだ。
 大砲が座ることの多いサード、ファーストも気の毒だと思うが、ショートもキツイ。
 現在の正遊撃手は40歳近いが名手として知られる人で、まだ引退の声は聞きそうもない。
 ケガをした時の交代要員・・にしても、控えの遊撃手は別にいる。
 正直、ショートでの出場など望み薄なのだが。

「おい」
 守備練習を終えて、次の練習に移ろうとしていたところを、呼び止められた。
 視線を転じると、あまり話したことのなかった先輩がこっちに近づいてくる。
 なぜか、剣呑な空気を感じた。

「はい」
「お前、妙な真似するなよ。」
 威圧するようにこちらを睨み据えてくる。
「すみませんが、何のことでしょうか。」
「告げ口なんてしたら承知せんからな。」
 何のことだ。
「何も知らないんですが・・何を言うなと?」
 下から睨み付けるようにしていたその先輩は、そこで初めて、背筋を伸ばした。
 今度は上から、嘲りを浮かべた目。
「ふん」
 まるで会話にならないまま、先輩は行き過ぎた。
 すれ違い様に、こちらに乱暴に肩をぶつけて。

 それから、寮に戻った後も考えてみたが、何の事を言われたのか、全く分からなかった。


「あ・・・」
 翌日、いつもどおりに早朝のジョギングに出かけようとしたところで、掃除少女と行き会った。
 前は避けられていたような雰囲気すらあったが、最近はこちらを見つけるなり、わずかに表情を明るくして近寄ってくる。
 人と話すのが苦手な子らしく、丁寧に頭を下げるだけで、それ以上何も言えずに走り去ってしまうのだが。
 それでも、なんだか慕われているような気配を感じる。
 何なんだ、いったい。

「よっ!」
 ジョギングコース上にある公園で、沢近さんに声を掛けられた。
 ベンチを占拠して缶コーヒーを飲んでいる。服装からして、朝の散歩だろうか。
「おはようございます」
 沢近さんが横にお尻をずらしたので、隣に腰掛けさせてもらった。

「熱心だな」
「はい。まだ定着には程遠いですし。」
「そうでもないんじゃないか?ファンも期待しているこったし。」
 ニヤッと笑いかけられ、自分でも少し赤面したのが分かる。

 先週、球団のファンクラブが出している会報で、特集記事を組んでもらった。
 正確に言うと、そんな記事を書かれていたことは天田に見せてもらうまで全く知らなかったのだが。
 記事は『ホエールズの未来を担う期待の超新星!』というタイトルで、私の他、数名の若手選手が挙げられていた。
 内容の方は、これでもかと美辞麗句で飾り立てた末に、「来季は全試合スタメン出場で活躍だ!」だの「首位打者の期待がかかる!」だの・・・
 穴があったら入りたいとはこういう心境だろう。寮でもだいぶネタにされ、すっかり参っている。

 ひとしきりからかわれた後、ふっと沢近さんが笑いを引っ込めた。
「ところで、妹ちゃんは元気か?」
「は?」
 いきなり振られて、とっさに頭が追いつかない。
 私には兄弟姉妹などいないのだが。
「絵美ちゃんだよ。黒崎 絵美(くろさき えみ)ちゃん。」
 名前を言われても、全く思い当たりがない。
「仲が良いんだろ?金村が羨ましがってたぞ?」
 そこまで言ってもらって、ようやく誰のことか分かった。
 掃除少女か。

「なーんだ、じゃ、誤解かぁ。」
 掃除少女という私のつけた呼び名で一笑いした後、幾分残念そうに沢近さんは言う。
 誤解?
「金村曰く、全寮生羨望の美少女がお前さんにべったりだそうで、なかなか手を出す隙が無いと悔しがってたぞ。」
 相変わらず金村はオーバーだ。確かに以前よりは積極的に挨拶してくれるようになったが、たまにすれ違う程度で一緒にいた時間などない。
「別に保護しているわけじゃ・・」
「おかげで、アプローチをかけられずに憤慨している馬鹿もいるそうだ。」

 そう言われて、ようやく思い出した。
 以前、廊下で掃除少女に出会った時、一緒にいたのが昨日悪感情を向けてきた選手だ。
 寮内だというのにナンパでもしていたのか。で、彼女が困っているところに、空気を読まずに踏み込んでしまったと。
 以降、彼女が妙に慕ってきているのは、魔よけ代わりとでも思われているのかもしれない。
 美少女かどうかはともかく、儚げで庇ってあげたいタイプなのは確かだが。

 どんな顔をしていたのか、自分でも分かっていないものが沢近さんには見えたらしい。
「ま、そう仕事のことばっかり考えていても、肩が凝るだけだぞ。」
 アドバイスらしきものを残し、立ち去ってしまった。
 仕事、か。

 一年だけとはいえ社会人も経験したせいか、野球を仕事だと、いまだに思えない自分がいる。
 仕事には違いないし、結果を出せずに解雇となれば生活に関わるのも事実だが、どこかで、趣味の延長のように考えている。
 今も、余計なことには関わらず、野球だけに打ち込んでいたいという思いが強い。
 妙なことで先輩選手と揉めたくなかったし、掃除少女が困っていても、積極的に介入していこうとも思わない。

 私は冷たいのだろうか。
 他人との関わり合いを煩わしく思うなど、つまらない人間なのだろうか。
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翠の大地 第8話

名古屋球場 三塁側ベンチ 4回終了 得点は6−11

「それじゃ、いってきますよ」
「お気をつけて」
「ははっ、これで鎮火に成功したらお立ち台確実、かな?」
 山井さんにしては珍しく、少しおどけて見せてからブルペンへ向かった。
 ともすれば重くなるベンチの空気を払いたかったのか。
 それとも、自分自身の緊張をほぐしたかったのだろうか。

 試合は、完全に乱打戦の様相を呈している。
 両軍ともに、既に3人目の投手がマウンドに上がった。
 こちらは山井さんの前にも肩を作っている投手がいるので、山井さんが出るとしたら5人目。
 残りのイニングを考えると、まず確実に出番は来るだろうが。

「こーりゃまずいんでないのー?」
「もう一、二発お願いしますよ。」
「まかせとけー!」
 真っ白な歯を見せて、ジョゼフ ゴールドマンが笑う。
 今季にアメリカの3Aから移籍してきた助っ人外国人で、体躯の大きさは龍崎さんと同等かそれ以上。
 顔のパーツが大作りで、よく笑うし愛嬌もいい。珍妙なアクセントの日本語と相まって、選手の間でもファンの間でも人気者になっている。
 もっとも、大学では日本語を学んだそうで、会話も通訳なしにこなすし、様々な分野に造詣が深いという一面も見せるなど、付き合いだすとなかなか奥の深い人でもある。
 今日の試合では、早くも1本ホームランを打っている。それでも、まだ5点差。
 大山さんが顔を叩いて気合を入れた。
「感覚が麻痺しそうだが、あと5回で6点とはな。」
「ココまでがんがん入ったからねー。」
「こっちが楽に入るなら、向こうもそうだろうよ。」
「そういうものですか?」
「ノリというか、そういう流れがあるんだろうな。誰かが変えないと駄目だ。」

 一瞬、満塁の場面で代打を任され、一挙に逆転に成功する自分を夢想した。
 すぐに幻は消え、頭が冷える。
 双方打ちまくる流れを変えるのは、ビシリと三者三振に仕留めるような投手の登場だろう。
 山井さんが、その役を務めるのか。それとも。
 いずれにせよ、こんなにボールが高々と飛び交う試合では、打力の無い私の出番はなさそうだ。

 5回の攻撃は6番から。
 常なら早くも第3打席というところだが、向こうはもう3巡目が終わっているので、まだ第3打席と形容した方が正しいのかもしれない。
 5回のマウンドには4回から登板のリリーフ投手が引き続き上がっている。
 夏バテ気味なこの時期、そうめったやたらと投手を注ぎ込みたくないというのが両軍首脳陣の本音なのだろうが、引き際を誤って大量失点していては元も子もない。
 というか、さっきのホエールズは・・そんな状況だった気がしなくも無い。

「ながれだねー」
「ですね」
 大山さんが言ったとおり、今は試合に荒れ模様の流れができているらしい。
 6番、7番と連続ヒット。エンドラン成功で走者一三塁。
 ここで8番。普通なら心配するところだが、今日の8番打者なら・・
「千堂、出番だ。」

 いきなり監督に声を掛けられ、とっさに返事ができなかった。

 代打を告げられ、ネクストバッターサークルから今まさに打席に向かおうとしていた錫原 直毅(すずはら なおき)選手が硬直している。
 それはそうだろう。同じ立場なら私だってそうなる。
 錫原さんは高卒でプロ入り後,足掛け15年余りもホエールズ一筋に生きてきた、まさに生え抜きの選手。
 かつては何度も首位打者に輝き、チームの躍進にも一役買っていた。
 30歳をいくつか過ぎた今でも、バッティングには定評がある。
 ただ、今日は他の選手が打ちまくる中、2打席ノーヒット。
 確かに、調子は良くなかった。

 それでも、このチャンスで代えられるなどとは思ってもみなかっただろう。
 しかも、代打の私はルーキーで、同じ左打者。
 屈辱に思ったかもしれない。

 伏せたくなる顔を、何とか上げたままに保った。
 錫原さんは釈然としないような、諦めたような表情をしている。
 やりきれない気持ちの矛先がこちらに向くかもしれない。
 だが、例え睨まれようと、目を合わさないようにするなど、同情しているようで余計に失礼だろう。

 不意に、錫原さんが片手を挙げた。
 釣られて挙がった私の右手と、すれ違い様に軽くタッチを交わす。
「頼む」

 錫原さんは無念さを滲ませつつも、想像したような邪念など抱かなかった。
 邪推したことを心中で詫びつつ、渡されたバットの重さを、改めて感じる。
 代わって、良かった。そう言ってもらえるように、結果で応えねばなるまい。
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