旅のお宿

翠の大地 第10話

 その日、ペナント最終戦を終え、ホエールズナインは淡々と帰路に着いた。
 今年は5位でシーズンを終えた。
 試合数が多いというのも良し悪しだなと、改めて感じる。
 これがアマチュアの大会であれば、一度でも負ければ後が無いということがほとんど。
 プロはじっくり戦える・・かと思ったが、蓋を開けてみれば、じりじりと差が開いていくのを抑えきれず、一喜一憂している内に、いつの間にか優勝を逃し、Aクラスからも滑り落ちてしまっている。

 日本シリーズもアジアンカップも関係のなくなった球団は、10月半ばから秋季キャンプに入った。
 依然、課題として遊撃の守備が命じられている。
 あまり意味を感じられずにいるのも相変わらずだが、一年生の身で異論を唱える勇気も無い。

「オフはどうするつもりだ?」
 ランニング中、不意に背後から声を掛けられ、思わずギョッとして振り向く。
 そこには、苦笑を浮かべた錫原さんがいた。
「いえ、特に・・・」
「自主練も良いが、余裕は持てよ。」
 言って、先ほどとは違った苦笑いを広げる。

 錫原さんとは、シーズン中ずっと外野のポジション争いをしてきた。
 遊撃の練習もさせられたが、こちらには確固たるレギュラーがいるし、にわか仕込みの技術では控えの選手と争うことも憚られる。
 私はあくまで外野手としてスタメンを目指すつもりだし、それは錫原さんも、日野さんも同じだろう。

 もちろん、起用を決めるのは監督であるし、試合での成果を競うのであって、反目するのは間違っている。
 ・・・とはいえ、やはり複雑な気持ちにはなる。目に見えるところに存在するライバルなのだから。
 向こうにとっては一層複雑な話だろう。私から見れば大先輩と肩を並べようとするなど挑戦に過ぎないが、向こうから見れば、新人と比較されるのは気持ちの良いものではあるまい。
 そう思って、錫原さんとも、もう一人の一軍外野手である日野さんとも、あまり話したりはしてこなかった。

「俺の若い頃は、良かったな。」
 錫原さんのルーキー時代と言えば、ちょうどチームが上り調子になっていた頃だ。
「やればやっただけ、手ごたえがあった。チームと共に自分も成長していく感じだった。」
 10年ほど前のホエールズは、本当に強いチームだった。
 今だって、それほど弱いわけではない。
 弱いわけではないが、勝てなくなった。
 いつしか、チームはひとつの全盛期を過ぎていた。
 当時あれほど持て囃されていた錫原直毅の名も、ここ数年はめっきり聞かなくなった。
 不甲斐ない味方を目にして、気力が萎えてしまったのだろうか。
 それとも、若くして天才打者の名を欲しいままにして、それ以上の目標を見つけられなくなってしまったのだろうか。

「あの頃は、野球しか頭に無かった。寝る間も惜しんで打ち込んでいた、という気がする。」
 その成果が、首位打者の栄誉なのではないのか。
 なぜ、錫原さんは、それがさも誤りであったかのように語るのだろう。
「説教臭くてすまんが、つまらん人間にはなるなよ・・お前、趣味は?」
「は・・はぁ・・・」

 答えかけて目を伏せた私を見て、錫原さんは低く笑い声を立てた。
「野球か」
「会社勤めをしていた時は、仕事も良いものだと思いましたが。」
 一瞬、目を丸くしたところを見ると、錫原さんは私が社会人ドラフトで入ってきたというのを忘れていたのか。
 2位とはいえ世間で騒がれるようなことは全く無かったし、まぁ覚えていなくても仕方ないが。

「何をやっていたんだ?」
 錫原さんは会社員生活に興味を持ったようだ。
「研修でいろいろやった後、営業に。」
「何の会社だ?」
「スポーツ用品のメーカーです。業界じゃ中堅というところで。」
 ちなみに、今でも道具類はその勤め先のを使っている。
 決して大きな会社ではなかったが、常に新しい事をやろうという熱意のようなものがあって、商品の説明をするのも楽しかった。
 野球部にもかなりの時間を割けたし、もう1、2年もプロ入りの声がかからなかったら、あのまま永久就職していたかもしれない。
「社会経験じゃ俺より上か。釈迦に説法だったかな。」
「そんな。1年しかいなかったんですから。」

 他愛も無い会話を続けている内に、すらすらと言葉が出てくるようになった。
 思っていたより、ずっと話しやすい。
 話しかけにくい、と思っていたのは、私が勝手に構えていただけなのかもしれない。

 それぞれの練習に移る際、錫原さんは一言残していった。
「もう少し、周囲にも目を向けるといいと思うぞ。」

 言われて、言葉の意味を考える。
 そんなに頑なになっていたのだろうか。

 その日は二塁手との守備連携の練習で終わった。
 組んだのは吉阪さん。
 そう言えば、早くから声を掛けてくれていたのに、こちらから話しかけたことは少なかった気がする。

「お疲れ様でした。」
「お疲れ様です・・さすが、若いと順応も早いですね。」
 吉阪さんは今年で30歳になった。以前はホームランも打っていたが、最近はバントに徹していることも多い。
 力が衰えたというより、打力なら上の選手が多いので、別の方向に出番を見出した、ということなのだろう。
「とても1軍で遊撃を任されるには。」
「高い壁がありますからね。」
 年長だが自分より若い選手にも常に敬語を使い、穏やかな物腰を崩す事が無い。
 これまでも好感を持っていたのに、話そうとしてこなかった。

 どこかで、自分は他の選手とまだ、対等になれていないと考えていた。
 それが原因かもしれない。
 追いつく事が第一で、輪に入れてもらうのはそれからだと。

「吉阪さんは」
「はい?」
「一塁も守れますよね。なぜ、一塁も守れるようにしたんです?」
 先ほどから見ている限り、吉阪さんの打球を裁く手は見事というしかない。
 アマチュア時代のチームメイトはもとより、2軍の選手と比べても格が違う。
 これほどの腕があって、なぜ一塁手をサブポジにしておく必要があるのか。

 青臭い質問だった。
 後から思い起こせば、顔から火が出そうになる。
 その時、吉阪さんはわずかに口元を綻ばせただけだったが、内心では苦笑していたに違いない。
「日本では、二塁手に守備の名手を起用します。」
「はい。」
「しかし、二塁手に強打者がいないわけではないし、そもそも二塁は守備力重視というのも、絶対の定石ではありません。」
「?」

 一拍置いて、吉阪さんは本題に入る。
「私は学生時代、投手だったこともあります。」
「そこから、コンバートして?」
「そちらの方がより自分を活かせる・・いや、使ってもらえるならね。」

 吉阪さんはちょっとだけ微笑んでみせる。
「チーム事情で二塁が薄いと見れば二塁手を目指すし、二塁手が駄目なら他でも起用してもらえるように、練習を欠かしません。」
「・・・」
「シーズン中だけでも事情は目まぐるしく変わります。その中で、チーム内における自分の居場所を守り続けるには・・」
「不測の事態にも備えておかねばならない?」
「そうですね。監督はそう考えるでしょうし、試合中でも対処できるようにしようとすれば、多芸多才な選手ほど重宝されますよ。」
「それは」

 私に続きを言わせず、吉阪さんは一息に語る。
「プロの世界は狭き門です。そこを潜り抜けてくる人の中には、とてつもない怪物も、います。」
「ええ」
「その怪物の得意とするところと、自分の頼みとする持ち味とが、もしも同じだったら?」
「・・・」
「その時に潔く道を譲ると言えるほど、私は達観もしていなければ、絶対の自信がある一芸を持ってもいないのですよ。怪物ならぬ身にはそれなりの、身の処し方があるでしょう。」

 言われてみれば、当たり前のこと。
 複数の守備位置を守れれば、それだけ起用されるチャンスも増える。
 いつ、どこに穴ができて、いつ、どこに強大な新戦力が入るか、分からないのだ。
 常に1軍レギュラーの座に噛り付いていくようでなくて、どうするというのか。

 自分の了見の狭さに嫌気が差していたところで、吉阪さんから助け舟が入った。
「もっとも」
「?」
 吉阪さんは大げさに、眉をしかめてみせる。
「一年目のあなたが気にされることじゃありません。あらゆる状況に備えるより、まずはこれぞという自分の武器を手に入れた方が、1軍定着の近道かもしれませんよ。」
「まだ半端者ですからね。」
「横並び、と言うべきでしょう。」
 そこだけはきっぱりと否定された。

「じゃあどうしたらいいのかと言われそうですが、決まった道はありません。ただ、可能ならば・・・」
「ならば?」
「遊撃手という選択肢も残しておいて欲しいものですね。あなたとは呼吸が合うようだ。」

 思わず、顔をそらしてしまった。
 素直に喜べばいいのか、心遣いと受け取って感謝すればいいのか、とっさに判断がつかなかった。

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