(まずいな・・・)
日向野はサインを出す指を止め、眉間にしわを寄せている。
試合全体の流れは、むしろ良い。
7回表には日向野自身から始まる連打、最後はここまでチャンスにも不発だった主砲・大京が二死満塁からしっかりとヒットを打ち、追加点を挙げた。
神山の強肩と北条のブロックの前に織姫の本塁突入は阻まれ、ここで攻撃終了となったが・・・
それでも、追いつかれた直後にまた突き放したというのは、相手チームへの精神的ダメージも大きかろう。
タチバナは優勢に試合を進めているかのように見える。
しかし・・・
6回裏、みずきのカンが当たったのかは分からないが、沢野は渕上、本多、神山という五桜クリーンアップに連打を浴び、ついに1点を許す。
それでも、1点で傷口を押さえたからこそ、大仙監督は7回のマウンドも沢野に委ねた。
だが、日向野にはどうにも気になる事がある。
(五条桜花の連中・・よく見てるな・・・)
打ち込んできた球は、渕上と本多がフォーク、神山はシュート。
重く、速いストレートに比べ、変化量が今ひとつな2つの変化球は、確かに打ちやすい。
(俺ならフォークを狙うだろうな・・向こうもよく見てら・・・)
どうやら、攻撃終了後に額を寄せてヒソヒソやっていたのはこのせいらしい。
(さぁぁて・・どうにも厳しい流れになってきたが・・・)
目には見えないが、五条桜花は着実に沢野の球を理解してきている。つかまるのも時間の問題かもしれない。
(こういう時こそ、捕手のリードで乗り切らないと・・な?)
この回の先頭打者、遠藤には力押しで挑む。速球を連続で投げさせ、3球目はフォークを高めに外させ・・・
(ここで勝負!!)
真ん中低めいっぱいへのストレート!!だったが・・・
「Good!」
遠藤は苦もなく、沢野のストレートを二遊間へ弾き返す。
沢野が、さらにセカンド・原が小さな体を精一杯伸ばして飛びつくが、ボールはセンター前まで飛んでいき、ランナー1塁。
(くそ・・打ちやすい球の見極めだけやってたんじゃないのかよ・・・)
五条桜花の試合中ミーティング、あれはなんだったんだ!?何を話してた!?
続く2番、九十九は短くバットを構えている。ここは手堅く、バントするつもりだろう。
1球、ウエストを投げさせてから、2球目はカーブで・・・
しかし、ここでも誤算が生じた。
リリースの瞬間、九十九はニヤリと笑いをもらすと、シュッと握り手をずらす。
バスター!!
「ええッ!?あっ!ちょっ!コラァーッ!!」
矢のような打球がファースト・田尾の守りをすり抜け、ライト線ギリギリへと転がるころには、遠藤は2塁を回ろうというところ。
無死、ランナー1,3塁。まずい・・・
(次は榊か・・んん、どうしたもんか・・・)
が、日向野が頭を悩ますまでもない。
ここで大仙監督。肩を作らせていた宇津を出し、6回を投げきった沢野を下げる。
「みずきさん・・この宇津久志!一命に換えましても・・・!!」
「・・・ホントにお願いね?マジでやばいんだからね!?期待してるよ?」
身を乗り出して目をのぞき込んでくるみずきと、おでこがくっつきそうになる。
大げさに「あなたの美しさにめまいがしていますの図」を演じると、「お任せ下さい!」と叫び、宇津は足取りも軽く、マウンドへと向かう。
(こんな時までマイペース・・ま、強心臓なのはいいことだけど?)
あと3回・・逃げ切れるのか・・・!?
(ここで交替・・か。)
厚志はバットを垂直に立てて、マウンドに上がった宇津の優美な長身を見遣った。
球種はスライダーが2種。球速はついに150を叩き出すようになったとも聞く。
(タチバナはみずきちゃんを次の試合用に温存・・ま、宇津の他に、田尾さんもいるしな・・・)
どちらかと言えば巧打者が多い去年までの五条桜花相手なら、それで正しい。
(が、うちを甘く見てんじゃねーぞコノヤロー!)
今年は本多もいれば神山もいる。北条だって、当たればデカい。
(次以降は文句なしの重量打線だ。)
静かにバットを振り下ろし・・円を描くように、肩口へと引き寄せる。
(上がったばかりで悪いが・・チャンスは逃がさず、次へつなぐ!それが!3番!!)
鋭い打撃が、2球目、縦のスライダーを捉え、右中間に落ちる!
「やぁぁぁぁぁんすっっ!!」
しかし、センター・矢部君の遠投。厚志は大事を取り1塁に戻る。
それでも、九十九を3塁に進めるには十分。遠藤は無論、生還!
これで、1点追加。ふふん♪同点だっぜ?
(ッ!・・宇津のスライダーも研究済みかよッ・・・)
周囲に聞こえないように、日向野は小さく舌打ちを漏らした。
1年前に比べれば、宇津の変化球には磨きがかかっている。前と同じ感覚では打てないはずだが・・・
(時々、マネージャを偵察によこしてただけのことはある・・きっちり補正してきたか!)
ここからは強打かつ巧打の打者が続く。冷や汗をかきつつ、日向野は外角低めへの高速スライダーを要求した。
ついに9回が始まり、スコアは2−2・・「ちょっとォ!何やってんのぉ!?」
みずきはベンチの背もたれに顔をのっけて、ぶーたれていた。
宇津はよく投げ、7回の失点を1に抑えると、8回は華麗に、三者凡退をやってのける。
が、五条桜花の天野もさるもの・・クイクイ曲がる変化球で、タチバナ打線を圧倒。8回は三者連続三振という、なんとも情けない結果に終わっている。
「守村君ッ!?ちょっとッ!分かってるわよねっ!?」
不機嫌なみずきに喝を入れられ、「わ、分かってるよ・・」とぼやきつつ打席に入る守村、本日、いまだ快音ナシ。
(やーよ!?最後の夏を逆転サヨナラ負けなんて・・ほんとに!ふんとに!)
そんなみずきの檄が効いたのか、どうか・・・
「てりゃぁぁっ!」「ッ!?」
守村の引っ張り打ち。天野が思わずのけぞる。
「よぉぉぉっし!守村君!やればできる子!!」
守村は1塁から最敬礼を送っている。みずきも敬礼を返している。
(どこの軍隊ですの?ここは?)
三条院的ツッコミも流しつつ、タチバナ、ここで絶好調ラストバッター男、見参!
「和希ッ!」
みずきの呼びかけにも振り返らず、軽く片手を挙げて応える日向野。
「・・・監督。」「ん?どうしたね、みずき君?」
引きつった笑顔で振り返ったみずきは、「あのバカ代えて。調子に乗ると、絶対ロクなことしな・・・」
い、を言う前に初球打ち。ボールは見事にセカンドのド真ん前にゴロる。
「・・・バーカ。」
せっかくのチャンスをゲッツーでフイにしたタチバナ、続く織姫も三振してしまい、この回の攻撃は無得点で終了。
(ちょっと〜!ホントにサヨナラ負けのピンチじゃん!!)
そして、9回裏。
先頭、神山が宇津のスライダーを弾き返す。
北条は無理せず、バントで送り、一死2塁。
(手堅く来るな・・8番も打てそうだし・・・)
攻撃的だ。五条桜花はガンガン押せるラインナップであることに、今更気付かされる。
形勢不利と見てか、大仙監督がまたも動く。
いよいよみずき投入か!?
「ピッチャー、宇津君、代わりまして・・田尾さん!」
「あいよぉ!待ってましたぁ!!」
ファーストから移動する田尾に代わり、ベンチから六道が走り出て1塁の守備へ。
(ここでみずきを使わない・・下位打線は、田尾さんのパワーで押し倒す気か?)
しかし、この打線相手にそれはまずいんじゃ・・・
2球目、五桜の8番・秋山が動いた。
「ぬぅおおおぉぉぉぉぉ!」「やるかいっ!?」
重い響きと共に、打球は一二塁間へ・・・
転がったが、しかし、いかんせん飛んでない。
原では間に合わないと見て、六道が素早く走り込む。田尾の反応も速い。
「アウトォ!」
秋山は1塁に届かず・・しかし、神山は3塁へ進んだ。
(無理は禁物・・聖ちゃんの判断は正しい。ヘタにランナーを刺そうとして一死1,3塁なんて、最悪だからな・・・)
二死3塁。次で勝負が決まる寸法だ。
代打。当然だろう。好投の天野を下げるとしてもおつりが来る場面。
艶やかな黒髪を結い上げた少女が打席に入る。
ひそかに顔をのぞき込むと、気の毒なくらいに緊張している・・・
(前回見かけなかった選手は、全員1年生か・・・)
にしては、あの神山とか言うの、迷いもなく3塁に駆け込んできたな・・・良い度胸だ。
先輩面して感心している場合ではない。この子に打たれては、高校野球生活がここで終わる。
(みずきのためにも・・あいつに出番無しの試合で、夢を諦めさせるわけには・・・)
決意と共に、日向野が送ったサインは・・・
ニヤッと笑い、ひとつ頷くと、田尾さんは思いっきり振りかぶった。
(怖ぇぇぇ・・・)
暴投でもされようもんなら、ランナーが3塁にいる以上、最悪の終わり・・・
日向野の心配も待たず、田尾さんが一挙に、腕を打ち下ろした。
が・・・
速球・・いや、これはまずい!!
(こんな・・こんな終わり方だけはッ・・・!!)
必死で食らいついた日向野だったが、ボールはミットに弾かれて・・・
神山がスタートを切った。田尾さんも、ほぼ同時にマウンドから本塁へ突進。
同時に2方向から突撃され、あわてつつも、結城は1塁へ。
「ちょっ・・ウソでしょ!?ちょっと、いやぁぁぁぁ!!」
みずきの絶叫が響く中、日向野はマスクを投げ捨て、全力でボールに飛びつくと・・・
・・・後で、ビデオを見た本人が「俺って天才?」とつぶやいたほど、凄まじい動き。
ボールをつかむや、体を入れ替え、ほぼ同時に両足をついてボールを返す。
神業じみた、素晴らしいインサイドワーク。だが、咄嗟の動作ではコントロールが定まらない。
「上にっ・・上に逸れるよぉ!和希ぃぃぃ!!」
みずきの叫び。だが、日向野は確かに見た。
「おりゃああぁぁぁ!!」「くぅっ!!」
本塁へ滑り込もうとする神山。だが、田尾も足を止めない。
勢いはそのままに、全力で腕を伸ばす!
ほぼ同時に神山のスライディングと田尾の足が本塁を踏んだ・・ように見えた。
判定は?
・・・
・・・・・・
日向野は、呼吸するのも忘れたように審判を見つめている。
日向野だけではない。球場全体が、しわぶき一つなく静まりかえっている・・・
しばしの沈黙の後、審判は片手を挙げ・・「アウトォッ!!」
オオオオオォォォォォッ!!っという、まるで勝利したかのような大歓声がタチバナ側から上がる。
(はぁぁぁぁ・・・)
腹の底から息を出し切ると、日向野は脱力し、膝を着いた。
なんとか凌いだ・・・
と、安心する間もなく、背中に強烈な張り手が飛び、日向野は勢いよく咳き込む。
「だははははっ!すごいことやるじゃないか!さすが!うちの正捕手様だ!!」
「・・・こんな時に暴投せんでくださいよ、田尾さん・・・」
「あははっ!すまないねぇ!ま、埋め合わせはこれからするからさっ?」
そう願いたい。これで延長戦、決定だからな・・・
一方、五条桜花ベンチ。
うつむいたまま、おぼつかない足取りで戻ってきた神山。
「秀一(神山)、足は大丈夫か?」「先輩・・・」
苦渋に満ちた顔を上げると、神山は折り崩れるように、その場に座り込む。
「申し訳ありませんッ・・・こんなところで・・・」
「・・・アホ。悔やむような場面だったかよ?」
やれやれ・・珍しく殊勝になってるのはいいが・・・
「あそこは日向野・田尾バッテリーのカバーが凄すぎたって、それだけだ。あそこでチキッて3塁に張り付いてたら、それこそぶっ飛ばしもんだぜ。」
「・・・」
「暗い顔すんな。どーせ、女帝陛下も出てきてないし、すんなり終わってくれるとは思ってなかったよ・・・立てるか?」
「・・・大丈・・夫、です。怪我は・・してません・・・」
これまた珍しい神山の男泣きに、五桜一同、先ほどの衝撃的プレーにも増して驚いている。
(負けん気の強いヤツだな・・ま、これなら大丈夫か・・・)
「で・・澪ちゃん(結城)。」「はい?」
介添えのように神山の脇に立っていた結城に、厚志は声を掛けた。
「残念ながら、今回は出番無しになりそうだ。が・・・」「が?」
首を傾げる澪に、厚志は肩をすくめてみせる。
「気持ちは分かるが、もう少し、リラックスしていこ?あの豪速球がまともにストライクゾーンに来て、それをそのカタい体で打ってたら・・・」
ぞっとしない。見事なゴロになるのは目に見えている。
だからこそ、危険を承知で、日向野は田尾さんに全力投球を指示したんだろう。
(ど真ん中だろうと、あの人の渾身の球、そうそう打ち返せるもんじゃないからな・・・)
「えっ!あっ!す、すいません・・」
恐縮してさらにちぢこまる澪に、「リラーックス!リラーックス!」と肩を回して見せながら、頭の中で、これから先に思いを馳せる。
・・・いや、間違えた。『これから先が思いやられる』の間違いか。
サヨナラはいいけど、追う方もつらいね。これで15回同点、再試合なんてなったら、泣くに泣けねぇよ・・・





